背のびのあと

ハイカル・サブカル・メモ

輝きと後悔しか、もう思い出せない

鎌倉殿の13人が完結した。

最終話があまりに好みだったので、ずっと殿のことを考えてしまって生活に支障が出るので、ちょっと備忘録として感想をまとめておく。ほぼ箇条書き。

 

素晴らしかった。練り上げられた素晴らしい悲劇だった。一年かけてこれを見れてよかった。過去、こんなに好みの主人公はいなかった。私が本当に求めていた北条義時が提供された。三谷幸喜ありがとう。全てのスタッフに感謝。

その上で、史実の義時はきっとあんなに孤独じゃなかったし、大江広元北条政子、時房、泰時、その他の大勢の子供達、最期まで仲の良かった伊賀の方、三浦義村、殿の世界線ではほぼ登場できなかった横山や結城や小山や足利、退場していったじーさま方の子供たち千葉や佐々木や土肥、他の御家人たち、もっとみんなでゴリゴリムキムキと武家政権という新時代を切り拓いたという印象。たくさん血は流れたけど、この世の恨みを全て背負って1人で地獄へ行った北条義時はいなかったんだね…!よかった…!

 

はい、よし。そんで、孤独の中に1人、人間を辞めて、地獄へ行った殿の、最高の義時の話だ。

三谷幸喜はキャラ作りやストーリー作りについて、シェイクスピアやアガサクリスティを参考にしたとよく話に出していたみたい(ありがとうツイッター)私はどちらもほぼ未履修なので、知名度と通り名で判断するけど、そりゃあのやばい練度の悲劇とミステリーが出てくるわけよと納得している。

 

最終回直後の感想ツイート。

義時は満足で綺麗な死など許されず、まだ生きたいと汚くもがきながら、苦しんで死んでいく。そばには、寂しい思いはさせないと啜り泣く慈愛の姉が1人だけ。愛されて祝福されて惜しまれて死んでいく人間を描くことよりも難しくて本質に近い。

 

義時がこんな風に死んで、思い出したのが風の谷のナウシカの皇弟ミラルパ。彼は数多の部族を恐怖政治と信仰心でまとめ上げる無敵で冷酷な皇帝で、登場時点で、ほぼ人間の形を保っていなかったけど、昔は明君で、私利私欲ではなく民衆をまとめるために恐怖政治へ舵をきり、それから長く己の苦しみが具現化した闇に包まれて焼かれ続けていた。聖母ナウシカはミラルパを包む闇の冷たさと熱さと痛みに涙して、きちんと成仏に導くけど、義時の終わりは、姉の啜り泣きが聞こえる暗闇の中でブツンと切れたのだった。死後に救われることはないが、地獄に行くこともない。死はただの死で、暗闇で、ブツンと電源が落ちるように意識が途切れる、終わり。あの暗闇をみんな見た。解釈一致です。殿の義時には、無理に救われてほしいとは思わない。

それと、まどマギ叛逆。魔女になったほむらの最初の呟き「輝きと後悔しか、もう思い出せない」は、きっと最期に意識が混濁した義時の感情のすべて。八重さんを思い出して…というより、まるで本当に目の前に八重さんがいるかのように、死に際の顔が綻ぶ義時、見たよね、もう私は小栗旬がこえーよ。泰時と八重さんという輝きが、じっとりとまとわりつく無意識下の後悔の中にあった。ほむらは「どうして、いつから魔女に…」と咽ぶけど、義時は己がどんどん人ではなくなっていることは自覚していたんじゃないかと思うんだよな。人の上に立ちたいと言う仲章や、お前に成り代わりたいと滲み出る義村に「お前には無理だ」と断じたのは、ただの義時の奢りじゃなくて、人の上に立つということが、人の姿を失いながらも狂わず理性的であることだと認識していたんじゃないか。

きっと毎夜、1人で、死に追いやった13人の名を数えて、こうするしかなかった、ああするしかなかった、と反駁していた。何度も何度も殺して、殺されていた。その1人の時間を思うと気が狂いそう。でも義時は狂えなかった、悲劇だ。あっこれってシェイクスピアじゃないですか?

 

運慶の仏像で、義時が人をやめていたことがキチンと視覚的に表現されてよかった。

無感情でこちらを見ている顔の半分が影になるところ、え、何度も何度も抜かれた義時の顔じゃん…と思った。もう片側の顔は溶けおちて、後頭部には13の穴があいている。でも手は阿弥陀様の印を結んでいて、何かを(みんなを?)救おうとしているらしい…(ありがとうツイッター)…あ゛あ゛〜〜〜〜〜干物になりそう……

 

死を無駄にしないために次の死を招く。どんどん立ち止まれなくなる。義時は政子に止めてもらえたけど、このループは政子に引き継がれちゃったんじゃないかなって、死んだものより、生きているものの方が心配だ。政子は、義時を1人で地獄に行かせないために義時を殺した。あの仏像をどうするんだろう。最後の政子の極限の悲しみを考える。子供を失った痛み、復讐、怪物になる人生を強いた弟への負い目、泰時という光のいる弟への羨望。

時政が田舎で静かに家族みんなで仲良く暮らすことを望んでいたことと、それでいて政子の恋心も、義時の人生も、蔑ろにはしなかったことを思い出した。人間の感情が簡単にその人の中で相反しつづけることと、本人も気が付いていない感情がたくさんあることを描きすぎ。しっちゃかめっちゃか。

 

最終回、義時は泰時を助けて死ぬんじゃないか〜とか想像してたんだよな。義時が死んだ時、泰時は京にいたからありえないんだけど、泰時という光を助けて意思を継ぐ〜みたいなさ、有終の美を飾るんじゃないかとかさ。でもさ、そんなかっこいい死に方、許されるわけなかった。実際は、泰時のために床にこぼれた薬を舐めて生きながらえようとしたんだよな。でもそれって助けて死ぬより愛だよなあ…。私は一生、小説家にも脚本家にもなれないな。

 

鎌倉北条ホームドラマ、本当によかったな〜。

2021年のキャスト発表からどんちゃん騒ぎで2年は楽しませてもらった。本音を言えば、もっと政治劇を見たかったけど、それは泰時大河で見せてもらえる、と信じるぞ〜。

平家物語源平盛衰記蘇我物語、義経記という「物語」の地金のあった前半戦と、吾妻鏡愚管抄などの史料が地金になった後半戦で、良くも悪くも雰囲気変わったなと思った。「物語」としての叩きが甘いなら、これからよ。鎌倉はこれから。いろんな北条家が見たい。